山谷堀からお客がよったり

お休み期の前まではご機嫌がデフォルトで毎日楽しく過ごしていたが、お休み期を経た今、毎日が無茶苦茶に楽しく過せるようになった。

お酒を飲まないと明日なにするかを考え、興奮して、寝られないぐらいに。
このテンションがこの先5年持てば、どんな環境でも売れる気がする。

昨日は8時頃に起床。 夕方まで公園で過して夜は、よみうりホールへ。談志まつり初日。これから3日間5回公演。『勘定板』で幕が開けたところがなんともいえない(ポジティブな意味で)。

3年目となったこの会、袖で聴いている時間がとても幸せ。 しかも去年までとは違い、昇進したことで、雑用をせずにずっと袖で聴いていられるこの嬉しさよ。うふふ。

さらにさらに昨日は、出番のあった談春師匠に喋りかけてもらえた。
マクラでも喋っているし、数は多くないけど取材してもらった時には毎回応えているのでブログにも書いてしまうが、師匠談笑の事を知らずに落語家になるという事を決めていた頃、私は談春師匠に入門するつもりでいた。 その談春師匠に喋りかけてもらえる事は私にとって大イベントである。今も。

談春師匠に喋りかけてもらったことで、特に印象に残っているのは過去4回ある(そとそも、喋りかけてもらったことがトータルで10回もないけど)。

1回目は談春師匠の独演会に伺い、自己紹介をさせて頂いた時。
たまたま同じタイミングでらく兵兄さんもいらっしゃぅていて、我々二人を並べて見た師匠が
『お前ら廃品回収の業者みてぇだな』
と。沖縄出身である事を言うと
『へぇー』
と。鳥肌立った。

2回目は今年の年明け頃。
ある落語会に、談春師匠の弟子で前座だった春樹兄さんの代わりに私が入ることになった。その時に師匠から直接電話があって
『代わりに入ってくれてありがとう』
と。これは未だに後悔してる。電話に出なくて留守電に残っていれば良かったのに…。

3回目は晴の輔師匠の真打ち披露パーティーでの2次会。
師匠談笑はおらず、談春師匠は別室で重鎮の師匠方と飲んでらっしゃった。
どんな話をしているのかと下働きをする前座を演じて(下働きをしなきゃいけない前座だったんだけど)、その別室に出たり入ったりを繰り返していると談春師匠のお酒があまり減っていない事に気が付き、ここぞとばかりに冷たい水を持っていくと師匠から一言
『エライ!』
と。

4回目は今年の8月。
噺家が闇夜にコソコソの収録現場で二つ目昇進の挨拶をさせて頂こうと私から電話をかけた時
「この度、二つ目昇進させて頂きまして、明日そのご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか?」
『おー。おめでとう。いつ昇進したの?』
「6月1日です」
『なにぃ?』

1回目とは違う理由で全身鳥肌が立った。

そして昨日、5回目があった。 舞台裏で待機している談春師匠をチラチラみてたら師匠の方から近付いてきて
『お前、それで海人の生まれじゃないんだよな』
「はい。畑の生まれです」
『お前はいかにも○○(とてもじゃないけど書けない)って顔してるよな』

沖縄出身である事を覚えていてくれてたあああ!

更にこのあと、間を開けずに6回目もあった。

上手の狭い舞台袖からトリの里う馬師匠の「お見立て」を勉強させて頂いていると、談春師匠がいらっしゃった。 退こうとする私に小声で
『良いよ。良いよ。お前の背中越しに見るから』
それで本当に譲らなかったのは正しい判断だったかどうかは分からない。 ただ、蓮二さんが奇跡的に間違って袖のこのツーショットを撮ってくれている事を祈りつつ、ぼんやりしながらその場に座っていた。うーふーふー。

終演後、ホール周辺でラーメン屋さんを探して歩いていたら新橋まできていた。 美味しいラーメン屋さんがあった。

高円寺に帰ってきて、いつもの公園へ行くと高校生カップルが繁殖しかけていた。 冬に桜が咲き乱れる様なもの。こんなところで温暖化を目の当たりにするとは。
全てが上手くいった、高座さえあれば満点だった、そんな1日。

次のお喋り

11月24日(月・祝)14時〜
「古典廻し#1-2」@ 西荻窪・一欅庵
【出演】柳亭小痴楽,立川笑二  

11月24日(月・祝)18時〜
「なまらく お江戸両国亭」@両国・お江戸両国亭
【出演】桂宮治、立川笑二